高野槇は真言密教の聖地「高野山」に多くあることからその名がきています。
高野槇は真言宗の供花として多く使われています。
その理由・経緯についてはさまざまな説がありますが一番有力ではないかと言われるのは
「弘法大師(空海)が真言宗の花を高野山にある植物で一番長持ちするものを探したところ高野槇が一番だった」 と言うものです。
その結果どおり、その花持ちの良さは群を抜いており条件さえよければ冬のワンシーズン持つくらいです。
高野槇は夏にも強い花持ちの良い仏花として今では真言宗だけでなく他の宗派にも広く使われています。
又、花の用途だけでなく、その硬くて保存性・耐湿性の高い特性から出節の磨丸太や浴槽・桶に使われています。森林の香り高い木でその芳香も魅力あります。
高野槇は、古墳時代には木棺材として、朝鮮半島南西部の古代国家百済(345~660年頃)では武寧王陵の木棺としても使われたということです。
又、木曾五木のひとつで、江戸時代には勝手に木を伐ると首を切られたという話もあります。
高野槇に関する名所も多く、二荒山(ふたらさん)神社内弘法大師お手植の高野槇や六道珍皇寺の六道まいりは有名です。